おおかたの子供たちと違い、僕の幼少時代は「作文」が苦手ではありませんでした。
もちろん、表現力豊かな子供であったという意味ではないです、ただ単に、書くのは苦痛ではなかった。
逆に、友達とコミュニケーションをとるのは苦手だったように記憶しています。
どうしてそうだったのかまでは覚えていないけれども、
直接誰かに対してコミュニケーションをとることに怖れを持っていて、
その反動で、「作文」は、自分の思ったままを素直に書ける場として、素直になれたのかもしれません。
そして、これは「今思えば」なのですけど。
突飛なことを書くようなタイプではなかったし、両親も当時の先生も、寛大であって、強く批判されることが無かったのではないでしょうか。
そのことが僕を、「書くこと」の苦手意識から開放し、素直に僕は書くことが出来たように思うのです。
僕に限って言えば、どちらかというと今のほうが苦手かも…
というのも、インターネットに接し、不特定多数の目にふれる文章を書くということが、いかに難しいかを思い知らされたからです。
かなり注意深く書いたつもりでも、一部の人(とくに思想信条や生い立ちや、生活環境が僕とは違う人たち)を不愉快にさせずに書くことは、ほぼ不可能だろうと今では思います。
それを押してあえて書こうとするには、それなりに動機付けと強い意志が必要になるでしょう。
とくにこの数年間は、僕にとって本当に充実した日々で、多くのことを学びました。
そして多くを知ったが故に、昔のように軽口を叩くことに臆病にもなりました。
けれどもそれは、自分の考えを持って、自分の意見について書くことを放棄したわけではありません。
僕がこうしてこれを書いていることで、それは証明できるでしょう。
さて…
子供たちが、どうやって「検索で」「作文サイトを探すことができる」のを知ったのかについては、あまり深く追求しないことにしましょう。
大人社会でそうであるように、今は子供社会でも情報の流通が発達していて、光が走るように流通したのであろうと考えれば十分です。
けれども子供たちが、そんなサイトを検索して何かを得ようとする姿勢について、大人たちは何かを考えなくてはならないのではないでしょうか。
今の子供たちは、そんなに縛られているのでしょうか。
今の子供たちは、そんなに大人の顔色を伺って、優等生ぶった作文の書き方を探しているのでしょうか。
今の子供たちは、そんなに自分の意見について書くことが苦手なのでしょうか。
今の子供たちは、そんなに…自分が自分の意見を、自分の言葉で書くことに、自信が無いのでしょうか。
僕は子供の頃から、作文に対する苦手意識は無かったので、作文が苦手な子供の気持ちがよく分かりません。
ひょっとしたら、「昔は苦手だった」人は、その答えを持っているのかもしれません。
もしいらっしゃったら、ぜひ声を大にして語っていただきたいと思うのです。
子供たちに対して、「作文」という宿題を課すのは、決して子供たちを困らせるためでも、子供たちに検索させて模範解答を探させるためでもないのですよ、と。
どんなに苦手でも、自分の言葉を駆使して書くことに、そしてそのことの大切さを知ってもらうために、課しているのですよ、と。
そして大人たちは、そんな子供たちが一生懸命自分の言葉で書いた言葉を、もっと暖かく、そしてしっかりと、受け止めてあげるべきなのではないでしょうか。
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